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『わたしの叔父さん』


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2019年 デンマーク
4.4 /5点満点

デンマークの田舎町。両親を早くに亡くしたクリスは、体が少し不自由な叔父と共に暮らして酪農を営んでいた。彼女は過去に叔父の介護のために獣医学部への進学を諦めており、毎日過酷な労働に従事する一方で、友人も恋人もいない単調な日々を送っていたが、それでも彼女なりに穏やかに暮らしていた。しかし、ある時地元の獣医師から仕事の手伝いに誘われたり、教会で若い男性との出会いがあったりと、変わり映えしなかったクリスの生活に変化の兆しが見えだすのだったが……。

監督はフラレ・ピーダセン。
クリスに、イェデ・スナゴー。
叔父さんに、イェデの実の叔父だというペーダ・ハンセン・テューセン。


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素朴ながら深い味わいのある映画だった。農家の地道な暮らしぶりを淡々と映し出したシーンがほとんどで、いかにも台詞らしい台詞というものは出てこない。地味とも言える作品かもしれないけれど、そんな風景を背後に朴訥とした調子で描かれる叔父と姪の絆の強さには、確かに心温まるものがあった。

一見すると、クリスは気の毒な若いケアラーという感じだ。若いのに田舎にとどまって叔父の世話に明け暮れ、酪農の仕事の大部分を一人で背負い、進学の夢も諦めて、近場に知り合いさえろくにいない生活で、これといった楽しみもない。孤独な経験をしてきた人特有の硬い表情を浮かべ、無口であまり笑わない彼女は、毎日決まった時間に起きて決まったルーティーンをこなし、決まったように仕事をして決まったような夜を過ごして眠る。近所の人も「あんなに若い身空でねぇ」といった同情の視線を隠さないし、新たに出会ったボーイフレンドのマイクも、「いつまでも叔父さんの面倒は見られないよ」「君の人生があるんだから」と違う暮らしへの道を説こうとする。
しかし、違うのだ。この暮らしを誰よりも望んでいるのは、クリス本人なのだ。彼女は、それがどんなに単調な日々であろうと、決して叔父のそばでの暮らしから離れようとしない。出掛ける予定があっても、やっぱり叔父が心配だからと取りやめる。デートに誘われても、叔父を一緒に連れて行く(嘘でしょ)。コペンハーゲンでの泊りがけの講義に誘われても、どうにかして叔父と一緒に行こうとする。出先では家に残った叔父を始終心配し、連絡を欠かさない。彼女は叔父に対して非常なまでに過保護なのである。
でも、わかる気がする。子供の頃に母親を亡くし、父親も「息子の後を追って自殺」、つまり兄弟もろとも父親を失っているクリスは、たった一人の肉親である叔父をもう失いたくないのだろう。ある日突然肉親がいなくなってしまう恐怖、はたまた一人置いて行かれる恐怖を、もう二度と味わいたくないのだろう。口には出さないものの、内心に間違いなく巨大な寂しさという穴を抱えて生き、そこに二度と飲み込まれまいと口を引き結んで頑固に生きているクリス。その姿はまったく健気で、涙を誘われる。
叔父自身はどういう人物かというと、こちらも素朴ながらなかなか穏やかな人柄で、ものわかりも結構良さそうだし、世話が必要とはいえ面倒のない人物だ。クリスの言う事をはいはいと聞き、デートをすすめてみたり、姪に頼ってばかりにならないように気を遣ってみたりと、思いやりもある。特別仲良しってわけでもないけど、お互いを大事にして暮らしている二人。そんな関係の叔父だからこそ、クリスにとっては心の拠り所になっているのだろうし、また、離れたくないとも感じてしまうのだと思う。

それでも、諦めていた獣医の仕事に再び関心を持ったクリスの姿や、或いはマイクとの新しい関係にほんのちょっぴり浮かれて、髪の毛をコテで巻きすぎたりしている彼女の姿を見るのは喜ばしい思いだった。まるでこっちも叔母さんかお祖母さんにでもなってクリスの幸せを思わず喜んでしまうような、そんな心持ちがしたものである。だが、そんな彼女にまたもアクシデントが起きる。結局のところクリスは、今の暮らしから抜け出そうとせず、寂しさと戦うので精一杯、そんな人生をこの先も送ってゆくのだろうか?
若いうちに家族を3人も亡くすというのは尋常でない悲劇だから、クリスの人生が「尋常」とは違っていても少しもおかしくはないはずだ。彼女の気持ちを無視して、人並の生活だとか若者らしい人生なんてものを勝手に押し付けようとするのは、それは間違いというものだろう。もしずっと叔父さんといたいならいれば良いと思う。あまり人とかかわらずにいたいならそれでもいい。でも、もしも出来たら、彼女の寂しさや辛い気持ちをわかってあげられる、その気持ちに少しだけ寄り添ってあげられる人に出会えたらいいなと思う──それがマイクでも、マイクじゃなくてもいいから。この先も人生は過酷かもしれないし、誰かと支え合って生きていくのはクリスの性には合わないかもしれないが、せめて困った時にSOSを求められる相手に出会えるといいなというか、それぐらいのご褒美をどうか自分に許してあげてと、彼女の健気な生き方を目にしながら私は心底そう願っていた。




# by canned_cat | 2023-03-27 19:07 | デンマーク(系)映画 | Comments(0)

『籠の中の乙女』


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2009年 ギリシャ
3.8 /5点満点

ギリシャの裕福な家庭に、両親と3人の子供が暮らしていた。両親は外の世界は危険だから出てはいけないと教えており、父親以外の人間が家の敷地から出る事はない。家のぐるりを高い塀が囲んでいるため、外の世界の様子は家からは見えないようになっている。息子と娘二人はそれなりの年齢に達しているが、いやに子供じみて、物を知らない。だが一家は強い結びつきのもと幸せに暮らしていた。そんな中、息子に定期的に性欲処理をさせるために、父親がクリスティーナという女性を連れてくる。息子とも娘たちとも仲良くなったクリスティーナだったが、しかし彼女が持っていた映画のビデオを見てしまった長女は、徐々に外の世界への関心を募らせてゆく……。



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妙に健康的ではあるが実に不健全な生活をしている、異様な家族の物語である。
まず、子供たちには名前がない。「長女」「長男」などと呼ばれるだけだ。彼らは毎日、降り注ぐ明るい陽光の下で、プールに入ったりゲームをしたりして遊んで暮らしている。両親の教育によって、下界を想起させる言葉についてはデタラメな意味を教え込まれている。例えば「海」はアームチェアの事、「高速道路」はとても強い風の事、「ゾンビ」は黄色い小花の事、「電話」は調味料の塩の事だと教わっている。彼らは皆、独裁的な父親からもらえるご褒美のシールを楽しみに、誇りにして生きている。
父親は毎日仕事に出掛けているけれど、家族には「外の世界では命の危険にさらされる」「車が運転できなければ外には出られない」「外に出られるのは犬歯が抜けてから」と徹底的に教え、洗脳している。だから家族は本当に家の敷地から出ない。敷地ギリギリまで行く事はあっても、心底外の世界に怯えた様子を見せ、一歩もそこから動かない。命の危険を守るためには犬の鳴きまねが重要だと父親が教えたために、家族はみな四つん這いになって犬の真似をするのが上手い。
子供たちは何かというと感情の感じられない棒読みのような物言いをし、カルトの集団のように父親を崇拝し、彼の言うなりになっている。

まったく異様な一家であるが、これは言ってみれば、家族が自分から離れて行くのを極端に怖がっている父親の「恐怖」の物語なのだと思う。一般的な家庭のように、年頃になった子供たちが自分を嫌ったり疎んじたりするのが彼には我慢できず、耐えられないに違いない。それを阻止するためにあれこれ洗脳してきたわけだが、わたしはこの父親の恐怖心を、彼と電化製品との繋がりに見て取る事ができる。独自の言葉を生み出したり、はたまた特定の言葉を禁じたりというのはまさにカルトの常套手段で、それによって教祖は信者の思想をコントロールしたがるわけだけれども、この家ではカセットテープレコーダーを使って、独特の(先述の「海」とか「高速道路」とか)言語教育が施されている。また、一家の結束を強める手段としてホームビデオも度々撮影され、その上映会が行われている。父親と母親はセックスの際、ウォークマンか何かでどちらも音楽を聴きながら臨む。きっと好きな音楽を聴いて気分を高めでもしなければ、良いセックスをする自信がないのだろう。或いは、レコード。父親はレコードプレイヤーでフランク・シナトラの「Fly me to the moon」をかける事があるようだが、誰も英語がわからないのを良い事に、家族に忠誠を誓う歌だという嘘を信じ込ませ、デタラメな翻訳をして聞かせている。そして娘やクリスティーナに暴力をふるうシーンでは、ビデオテープやVHSデッキを使って折檻している。彼の恐怖心をなだめ、その解決策を講じる手段として電化製品は欠かせない存在なのだ。

そんな一家の絆にほころびが生じ、破綻するまでを描いた本作。正直楽しい映画ではなかったけれど、興味深い作品だったとは思う。嘘を教え込まれて下界から隔絶させられている人々の話、という点では、わたしは『ヴィレッジ』を思い起こしたりもした。
最後がオープンエンデッドなエンディングになっているのもニクい。わたしとしても長女の試みは成功してほしいが、しかしこの堅牢な「籠」は、そう簡単に逃れられるものでもないような気もしている。




# by canned_cat | 2023-03-23 12:38 | その他地域映画 | Comments(0)


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2020年 USA
2.8 /5点満点

19世紀後半、電力事業黎明期のアメリカ。オーストリア帝国出身の電気技師ニコラ・テスラは、トーマス・エジソンの会社に入社して働くも、エジソンの約束の不履行などから不和となり職を辞す。その後同じく著名な実業家ジョージ・ウェスティングハウスの会社に入り、自らの提案した電気の送電方式「交流送電」が市場で成功を収めるなど、技師としても発明家としても活躍を見せるテスラ。しかし彼の人生は、決して順風満帆なものではなかった。

ニコラ・テスラに、『マグニフィセント・セブン』『ガタカ』『その土曜日、7時58分』『バレー・オブ・バイオレンス』『ビリー・ザ・キッド 孤高のアウトロー』『ストックホルム・ケース』のイーサン・ホーク。
アン・モルガンに、イヴ・ヒューソン。
J・P・モルガンに、『靴職人と魔法のミシン』『アド・アストラ』、ドラマ『Forever Dr.モーガンのNY事件簿』『エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY』のドニー・ケシャウォーズ。


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科学者として今も天才の呼び声高いニコラ・テスラの伝記映画。主演のイーサン・ホークは割合好きな俳優なので、けっこう楽しみにしていたのだが、残念ながら色々とダメな映画だった。

ダメポイント①:どうしてそんなに暗いの?
本作は全体的な調子がすこぶる暗い。テスラは笑わないし、いつも深刻そうな顔をしているし、常に低い声で抑揚も少なにボソボソ喋るし、楽しいシーン、華やかなシーンといったものも一切無い。そりゃあ、彼の人生は苦労も多かったと聞くし、最後は孤独死だったとも聞いている。でも失意ばかりの人生でもなかったはずで、一定の成功と一定の名声は得ていたはずだ。なのに、どうしてこんなに暗い映画にしたのだろう。シリアスな作品はむしろわたしの好むところだが、この暗さは不必要なものに思えてならない。

ダメポイント②:何がしたくてこの映画を作ったの?
ハイライトシーンというものが、この作品には無いんである。ただテスラの人生の一時期を黙々と追っただけ。成功も失敗も同じトーンで扱われ、物語の起伏が平坦なのだ。どの時代のどんな彼を見せたくて作品を作ったのかが、わたしにはまるで見えてこなかった。

ダメポイント③:なんでそんな事したの?
本作では、かなり挑戦的な演出がいくつも施されている。制作側もある程度のリスクは承知だったと思うし、それでも挑戦に踏み切ったのには彼らなりの自信があったのだろうが、しかしわたしにはそうした演出が成功裏に終わったようには見受けられなかった。例えば、語り手。作中でテスラに思いを寄せる女性・アンが、何故か現代のセットからパソコンを前にして語り手としても登場するんである。え、なんで? この人19世紀の人じゃなかったの? という素朴な疑問が、最後まで筋の通った説明を受け取る事はなかった。それから、スクリーンに大写しになった写真を背景に持ってくるシーン。二次元のスクリーンをバックに役者が演技をするというのはアイディアとしては面白いが、やはり必要性というか、わざわざそうした意味が感じられなかった。そして極めつけはテスラが歌を歌うシーン。彼はなぜか、1980年代に発表された歌を、シンセサイザーとエレキギターの演奏と共に歌いだすんである。いやいやいやいや。1943年に死んだテスラが、どうやったら1980年代の歌を歌えるのだ。こういう突飛な演出は、もしかしたら舞台のお芝居では上手くいったかもしれない。ただし映画の文法においては、これはどうにも「不可」に思えてしまう。

ダメポイント番外:邦題のサブタイトル
これは日本の配給会社のせいであって、作品そのものには関係がないけれど。エジソンがテスラの才能を見くびり、彼を無下に扱ったというのは有名な話だし、本作の中でもエジソンはテスラに対して堂々と約束を破る。直流方式のものを交流方式で稼働させてみせれば褒賞を出す、と言っておきながら、それに成功したテスラにエジソンは「アメリカンジョークが通じないんだな」とのたまって終わらせたのである。少なくともテスラにとっては、エジソンは愚かで憎らしい相手だろう。なのにそんな彼の伝記映画のタイトルに邦題は「エジソン」の名を冠した、「あのエジソンも恐れた天才です」と言わんばかりに。エジソンの名を引き合いに出す事でテスラを褒めてみせる……これはテスラに失礼というものではないだろうか?

では本作で良かった点はどこかというと、それは一にも二にもアン・モルガンを演じたイヴ・ヒューソンの存在だ。彼女の知性的な眼差し、聡明そうな眉、落ち着いた物腰、温かみのある声音、それらの魅力が時に危なっかしい主人公をしかと支えていた。ヒューソンさんはロックバンドU2のヴォーカル、ボノのお嬢さんだそうだが、これから俳優として大きく成功する事は間違いないと思われる。




# by canned_cat | 2023-03-17 12:40 | USA映画 | Comments(0)

『ブラックブック』


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2006年 オランダ
4 /5点満点

1944年、ナチス占領下のオランダ。世間から隠れて暮らしていたユダヤ人女性・ラヘルは、ユダヤ人の逃亡を助けているというオランダ警察の男の手引きによって家族共々遠くに逃れようとするが、ナチスの部隊の待ち伏せに遭い、ラヘル以外皆殺しにされてしまう。どうにかこうにか逃げ延びたラヘルは、復讐を誓い、レジスタンスの組織に加わる。そしてナチスに捕まったレジスタンス仲間の命を助けるため、彼女はナチスのムンツェ大尉の恋人となり、さらにはナチス親衛隊の内部で職を得て、味方の活動を支えていくのだったが……。

ムンツェ大尉に、『善き人のためのソナタ』『リリーのすべて』『ある画家の数奇な運命』のセバスチャン・コッホ。
ヨープに、『遥か群衆を離れて』 『フランス組曲』 『リリーのすべて』 『胸騒ぎのシチリア』『クライム・ヒート』『ヴェルサイユの宮廷庭師』 『パーフェクト・ルーム』『名もなき生涯』のマティアス・スーナールツ。


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オランダの戦争映画を観たのは、もしかすると10年前に鑑賞した『ナチスの犬』以来かもしれない。『ナチスの犬』はオランダ版シンドラーのリストだったが、本作はナチスに家族も財産も希望も奪われ、その復讐のためになら何でもするレジスタントの女性を描いた作品だ。
「何でもする」というのは、敵の一人であるムンツェ大尉と寝る事だけを指しているのではない。彼女はユダヤ人である事を隠すため、名前を「エリス」に変え、髪も染めて、つまりはアイデンティティを捨てて活動に挑んでいる。いや、そもそも彼女は隠れ家でひっそりと暮らしていた時から、キリスト教徒の命令に従って新約聖書を暗唱してみせたりしている。となると、彼女は元々、「生きるため」とか「復讐のため」など目的のためなら手段は選ばない人なのだろう。
そう聞くとストイックなレジスタンス映画みたいに聞こえるが、しかし本作はそういう感じとも違う。確かに、ナチスの極悪非道な残虐行為が描かれるし、それに大がかりに対抗するレジスタンスの勇敢な活動も描かれるが、どちらかというとエンターテインメントとしての性格が強いのだ。すなわち、ナチスの犠牲者である女性が女闘士としてレジスタンスに加わり、ナチスの将校相手に寝技を繰り広げ、仲間と共に果敢に戦い、かと思えば裏切りがあり、メロドラマがあり、逃亡劇があり、復讐劇があり……といった具合。エンターテインメントとしてのいろんな要素がけっこうてんこ盛りになっていて、その代わりラヘルの内面性がミクロにクローズアップされる事はあまりなかったものの、この時代にこういう苦境を生きたかもしれないオランダ人のユダヤ人女性の生き方全体をマクロに見通す作品になっており、こういう戦争映画も決して悪くないと思った。

また、本作では第二次大戦中の物語だけでなく、戦後の物語も重要性をもって描かれている。ラヘルがレジスタンスに加わったのは戦争末期に近く、したがって物語半ばで戦争が終わる。そしてそこからはオランダが解放された世界が描かれ、歓喜の叫びと眩い正義の光のもと、ナチスや関係者は犬畜生に、レジスタンツは英雄に祭り上げられていく。しかし解放感に喜ぶオランダ国民がナチスやその関係者にしでかすしっぺ返しは、それはそれで行き過ぎていて、まるで立場が逆転しただけで行われている悪事は変わらないかのようである。この混乱の時期にラヘルはまたも苦難を味わう事になるのだけれど、ここでメインテーマとなるのが「誰がユダだったのか」、そしてそれを解き明かす「ブラックブック」の存在だ。正直言うと、裏切り者の正体についてはわたしもある程度予想がついてしまっていたが、そうしたシークエンスに漂う誰が敵で誰が味方かわからなくなるような、足元がぐらぐらと揺れるような危うい空気感は、ミステリとサスペンスの両面からいって面白い味わいを醸し出せていたと思う。
でもこの映画を観ていると、何だかつくづく考えさせられてしまう。戦争という非常時の極限状態のさなかに、保身に走った人がいたとして、それは人として自然な事と言えるのではないか? 果たして人間はその責任をどこまで問えるのか? 残忍な人間がいて、それに対して残忍な仕返しをする人々もいて、或いは独裁者がいて、それを倒した別の偏った価値観の人間がいて……一体、悪いのは誰なのだろう? みんな悪いんじゃないのか。それか、誰も悪くはないんじゃないのか。一つ確かな事は、人間という名の動物を、そうした極限状態に置くべきではない事、そんな政治を敷くべきではなかったという事だろう。

ちなみに、本作は戦後を生きるラヘルの回想という形をとっているので、ラヘルが戦時下を生き延びるのだという事は観客には初めからわかっている。が、それなら戦後の彼女が平和で幸福な人生を歩んでいるのかというと、一見そう見えなくもないけれども、これはまた否である。ラストシーンのラヘルを取り囲むきな臭いシチュエーションは、あれは第二次中東戦争の始まりを示唆しているはずだ。ヨーロッパでレジスタントとして活動しホロコーストを逃れたユダヤ人女性が、中東にわたって今度は別の激動に巻き込まれる──この映画はやはり、一つ一つの悲劇についての物語ではなくて、過酷な時代に過酷な人生を歩む女性の波乱の「生涯」の物語なのである。




# by canned_cat | 2023-03-13 13:52 | その他地域映画 | Comments(0)


『ブライズ・スピリット〜夫をシェアしたくはありません!』_f0324790_15380019.jpg


2020年 UK
3.6 /5点満点

1920年代、イギリス。スランプに悩む人気作家のチャールズは、自身の小説を映画用に脚本として書き直す仕事に苦戦していた。妻の父である映画会社の重役から散々せっつかれても、彼は一文字も書く事が出来ない。脚本には霊媒師を登場させるつもりでいるため、本物の霊媒師の姿からヒントを得ようと、ある時チャールズは胡散臭い霊媒師マダム・アルカティを自宅に呼び、交霊会を実施する。当初はマダムの力を誰一人信じていなかったが、なんと彼女は、チャールズの事故死した前妻・エルヴィラを霊界から呼び出してしまう。以来エルヴィラはチャールズの家に居つき、チャールズや妻のルースに嫌がらせをし、果てはチャールズの命を狙いだす。彼女の存在に狼狽え、翻弄されるチャールズではあったが、実はエルヴィラの協力がなければ作品を書けない事情もあり、無下にもできない。しかしルースの方は夫婦関係の危機を感じ、マダム・アルカティに除霊を頼みに行く……。

チャールズ・コンドマインに、『フィフス・エステート 世界から狙われた男』 『ザ・ゲスト』 『靴職人と魔法のミシン』 『マーシャル 法廷を変えた男』のダン・スティーヴンス。
ルース・コンドマインに、『華麗なるギャツビー』『グランド・イリュージョン』『ノクターナル・アニマルズ』のアイラ・フィッシャー。
エルヴィラに、『フィリップ、きみを愛してる!』『マザーレス・ブルックリン』のレスリー・マン。
マダム・アルカティに、『ラヴェンダーの咲く庭で』『眺めのいい部屋』『プライドと偏見』『アイリス』『チャーリング・クロス街84番地』 『ムッソリーニとお茶を』 『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』 『ジェーン・エア』 『あるスキャンダルの覚え書き』 『007 カジノ・ロワイヤル』 『あなたを抱きしめる日まで』 『ヘンダーソン夫人の贈り物』 『恋におちたシェイクスピア』 『マリリン 7日間の恋』『マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章』『オリエント急行殺人事件』 『素敵なウソの恋まじない』 『シッピング・ニュース』 『チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛』『ヴィクトリア女王 最期の秘密』 『シェイクスピアの庭』 『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』 『ジョーンの秘密』『ベルファスト』、ドラマ『クランフォード』のジュディ・デンチ。
チャールズの友人ブラッドマン医師に、『モネ・ゲーム』 『クロムウェル〜英国王への挑戦〜』『ザ・トレンチ(塹壕)』『ラッシュ/プライドと友情』のジュリアン・リンド=タット。


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イギリスの高名な作家ノエル・カワードの戯曲を映画化した作品。
原題および原作タイトルの意味は「陽気な幽霊」で、本来それは自由奔放に振る舞うエルヴィラの性格を表しているわけだけれど、しかし本作で見るエルヴィラは、陽気というよりも悪びれなくて図々しい、男性を好んで振り回すタイプの女性という感じで、これでは故人といえども彼女にあまり同情する気になれず、現在の妻ルースの方が気の毒になってしまう。
前半は、そんな元妻と現妻の間に挟まれて右往左往する作家を描いたドタバタコメディという印象。正直大した作品ではないなと途中までは思っていたのだが、後半で結構予想外の展開が続き、なかなか目に物を見せてくれた。さすが原作者ノエル・カワード、つまらない話は書かない。

「大した話ではない」と感じていた理由はひとえにチャールズにあって、彼はエルヴィラにもルースにも良い顔をしてみせるなど、どうも優柔不断なんである。そりゃあ、過去に深く愛した元妻と今深く愛している現妻とは比較のしようがないし、どっちかを選ぶのは無理というものだろうけど……でも片方は幽霊だしねえ。いたずらが過ぎるエルヴィラに対しては、チャールズなりにガツンと言ったりもしているものの効果は全然なし、逆に手玉に取られっぱなし。そんな事じゃダメだよチャールズ、と内心まどろっこしく感じていたら、物語の後半ではそのチャールズの「ダメ」なところがしっかりやり玉に挙がっていて、こちらとしてもそれなりに小気味よい気分を味わえたのであった。
そんなお話の中、キーパーソンとなるのがインチキ霊媒師マダム・アルカティ。彼女の能力はこれまではインチキでしかなかったのだけど、長年の念願が叶ったのか、ここにきて初めて本領を発揮。「え、わたし本当に能力があったの?」みたいな感じを出してくるあたり、なんかちょっと『ゴースト/NYの幻』のオダ=メイみたい。愛らしいおばあちゃん代表と言ってもよいジュディ・デンチが彼女を演じているわけだが、嘘くさいジュディ・デンチっていうのもちょっと面白い。

総括すると、キャストの演技や存在感は悪くなかったものの、お話がそこそこ面白かったのは作り手の手腕ではなくあくまで原作の内容のお蔭という感じ。人間にさわれるのかさわれないのかはっきりしなかったりと、幽霊の幽霊としての設定がいまいち不明確なあたりも、物語に曖昧な印象を与える一因になっていたと思う。まぁ気軽にちょっとしたコメディを観たい気分の時には、こういう映画をチョイスするのが良いだろう。
なお、元々は英国のおぼっちゃん風だったのが近年では肉体改造に励んで肉食系プレイボーイみたいな風貌へと変貌を遂げたダン・スティーヴンス、今回は元のおぼっちゃん系役どころで、クイーンズイングリッシュに上品で穏やかな彼のたたずまいを見、やっぱりこういうのも似合うなと思った次第。




# by canned_cat | 2023-03-09 16:41 | UK映画 | Comments(0)