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『母の残像』


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2015年 ノルウェー・フランス・デンマーク・USA
4.5 /5点満点

著名な戦場カメラマンであったイザベルは、夫と2人の息子を残し、3年前に交通事故死した。事故の真相は不明ながら、自殺の可能性も高いというその事実を、夫のジーンと長男のジョナは当時まだ幼かった末息子のコンラッドには伝えずにいた。
その後ジョナは結婚し、子供が生まれ、その報告をしに久々に実家に戻って来る。丁度その頃、イザベルの追悼特集が組まれる事になり、ジョナは父に代わってその為の母の遺品整理に取り掛かる。だが様々な遺品を整理するうち、母の秘密を見つけてしまうジョナ。一方のジーンも、これを機にコンラッドに事故の詳細を伝えようとするが、反抗期真っただ中のコンラッドとは上手く会話の機会が持てない。斯くして3人それぞれが、心の中に立ち現れるイザベルの面影に戸惑う中、いよいよ追悼記事が発表される。

ジーン(父親)に、『ミラーズ・クロッシング』『仮面の男』 『ユージュアル・サスペクツ』のガブリエル・バーン。
ジョナに、『ヴィレッジ』『ローマでアモーレ』『嗤う分身』のジェシー・アイゼンバーグ。
コンラッドに、デヴィン・ドルイド。
イザベル(母親)に、『ピアニスト』『8人の女たち』のイザベル・ユペール。


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監督は、デンマーク生まれ・現在はノルウェーで活動する映画監督、ヨアキム・トリアー。ラース・フォン・トリアーの甥だそうである。ここで「流石」と言っては失礼に当たるかもしれないので止めておくが、高い芸術性を感じる作品だった。作品全体に透明感があり、映像は美しく、作中に現れるイメージやモチーフは創造性に富んでいる。物語の切り口も面白いし、その語り口は繊細だ。総じて良い映画監督だと思う。折しも、彼の新作が今度の10月に日本でも公開になるそうなので、動向に注目しておきたい。

イザベルは妻であり母であるだけでなく、戦場カメラマンという特殊な仕事に就いていた女性である。彼女には戦地の惨状を世界に伝えるという使命があり、過酷な戦場へ自ら赴いては、危険な仕事に取り組んでいた。時には彼女自身、大怪我を負う事もあった。作品は高い評価を受けていたが、その代償として、家を空けがちの生活を送り、家族と離れて一人戦禍に巻き込まれて暮らすという、大きな孤独も抱えていた。
そして、戦争とは全く関係のない、母国での交通事故で亡くなってしまった彼女。今や永遠に不在となってしまったイザベル、そして自殺したのかもしれないというその事故原因のショックを、ジーンとジョナは引き摺って生きている。コンラッドは事故原因については知らないものの、ローティーンにして母親を失ってしまった事は、当然彼に大きな影響を与えていた。生活態度が極端に反抗的になり、父親を鬱陶しがり、会話もせず、部屋にこもりがちなコンラッド。そんな3人の男家族が、ジョナの帰省によって久々にまともに(?)顔を合わせ、3人それぞれがイザベルの死と遠巻きに向き合おうとする、そんなような物語である。

邦題は「母の残像」。原題とは無関係のタイトルではあるが、これがなかなか言い得て妙である。実際、イザベルは回想シーンとして作中にも度々登場する。然しそれだけではなくて、ジーン・ジョナ・コンラッドの生活すべてに彼女の残像が見え隠れしており、彼らの心の中にも、イザベルの残像が常に潜んでいるのだ。
身近な人の死というものは、容易に乗り越えたり、立ち直ったり出来るものではない。その後の一生を、その人との思い出や面影を背負って生きていくものだ。だから、彼らの心がイザベルの残像に満ちていようと、それはそれで構わないと思う。けれど、彼らの場合、余りにも家族間の会話が少ないのが問題だ。否、上っ面の会話はするのだけれど、イザベルの死以降、大事な事を何も話していないのである。彼らの心情そのものは、モノローグによって観客に伝えられる。が、肝心の彼ら自身がそれを伝え合わない。男家族などというのは、ひょっとしたらどこもそういうものかもしれないが……然しこのままではまずいのは確かだ。
イザベルの死以来、ジーンはコンラッドに対して、心配のあまり過保護傾向になり、コンラッドはそれを鬱陶しく感じている(年頃を考えれば無理もない)。そこへ、緩衝材としてのジョナが加わるわけだが、ジョナもジョナで、勿論寂しさを抱えており、おまけに母の秘密も知ってしまい、動揺する。そんな3人が、果たしてちゃんと現実と向き合い、前に進む事は出来るのか?
結論から言うと、私にはよくわからない。彼らがイザベルの死と「ちゃんと」向き合えたのかどうか、いまいち不明なまま終わってしまったように思う。とはいえ、何もその死と向き合わなければいけないわけじゃない。向き合う対象はイザベルではなく、お互いだけでも良い筈だ。では、ジーン・ジョナ・コンラッドは、互いに向き合う事が出来たのか。これに関しては、まあまあ出来たのではないかと思う。ほんの少しではあったけれど、その「少し」、謂わば第一歩が重要だ。心が離れ離れになっていた家族が、多少なりとも距離を取り戻したように感じられる、そんなエンディングに幾らかホッと出来た。

キャストの名前を見た時点でおわかり頂けると思うが、役者が皆、とても良かった。夫がガブリエル・バーン、妻がイザベル・ユペール、こりゃあもう鉄壁の布陣である。そして息子達も素晴らしい。ジェシー・アイゼンバーグは、佇まいも声音も喋り方も、実に映画向きの御仁だ。無論、演技力も高い。コンラッド役のデヴィン・ドルイドさんには初めてお目に掛かったけれど、彼も如何にも鬱屈した十代風の見目をしており、のみならず、難しい年頃の繊細な心の動きを見事に体現されていた。安心出来る完璧なキャスティングに支えられた、不安定で脆い人間模様を描いた映画。何ともニクい狙いである。




by canned_cat | 2018-08-13 13:34 | その他地域映画 | Comments(0)