『クロムウェル〜英国王への挑戦〜』


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2003年 UK/ドイツ
4.2 /5点満点

17世紀半ば。英国では、王権神授説に基づく絶対権力を主張する国王チャールズ1世と、王権もまた法の下にあるとする議会派の対立が激化していた。対立はついに内戦へと発展、議会派のクロムウェルと盟友フェアファクスは、共に優れた司令官として国王軍との戦いを次々と勝利へ導いていた。だが、王を罪人として裁かねば真の自由はないとするクロムウェルの急進的すぎる姿勢に、いつしかフェアファクスは疑問を抱き始める。(TOKYO MX シネマ麹町より引用)

トーマス・フェアファクスに、ダグレイ・スコット。
オリバー・クロムウェルに、『レザボア・ドッグス』『パルプ・フィクション』『フォー・ルームス』『海の上のピアニスト』『コッポラの胡蝶の夢』『ブロークン』、ドラマ『ライ・トゥ・ミー 嘘は真実を語る』のティム・ロス。
トーマスの妻アンに、『天才マックスの世界』 『ゴーストライター』 『私が愛した大統領』のオリヴィア・ウィリアムズ。
チャールズ1世に、『ベストフレンズ・ウェディング』『アナザー・カントリー』ルパート・エヴェレット。

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クロムウェル、清教徒(ピューリタン)革命、王権神授説……。
どれも学生時代の世界史でお馴染みの、懐かしのキーワードである。確かにどの単語も記憶にあるし、それが近世の英国史に登場する単語だという事も憶えている。が、つまるところ清教徒革命とは何なのか。クロムウェルが成し遂げた事とは一体何だったのか? それについては、この映画を観るまで私はわかっていなかった。習ったけど忘れた、のではない。試験の為だけにあったような学生時代の学習では、抑々理解していなかったのだ。

この革命に於いて対立したのは、議会派と王党派。議会派とは、ざっくり言えば清教徒たちのことであり、清教徒とは新教徒のことであり、新教とはざっくり言えばプロテスタントのことである。それに対し王党派とは、国王チャールズ1世をはじめとする国教徒たちのことであり、国教徒とは旧教徒のことであり、旧教とはざっくり言えばカトリックのことである。そして議会派は、立憲君主制や共和制などの民主政治を望み、王党派は、絶対君主制や王政などの君主政治を望んだ。彼らは宗教の上でも、政治思想の上でも対立していたわけだ。
チャールズ1世は父ジェームズ1世から二代にわたって専制政治を行い、議会を無視し、産業を統制して商工業者を苦しめ、清教徒を弾圧した。これにより、議会派と王党派の対立はついに内戦にまで発展し、やがてクロムウェルらによって王政が倒されることとなる。
「王」だけが倒されたのではない。「王政」そのものが倒されたのである。クロムウェルたちは王政を倒し王を処刑し、英国史上唯一となる王(君主)の存在しない共和政治を布いた。国王や女王の存在を最大の象徴とする英国にあって、たった一度だけ王様がいない時代が存在したのだ。おバカさんな私は、この映画でそうハッキリ言われなければ、永遠に気が付かないまだったかも知れない。
まぁそんなおバカさんは私ぐらいのものかもしれないが、クロムウェルが成し遂げた事にはもう一つ大きな意味がある。それは王も法で裁くことが出来ると証明した事だ。もっと露骨に言えば、処刑さえ可能だということを。私個人は君主制に対して特段異議を唱えるつもりはないけれども、何びとであっても法のもとでは平等である、それは近代国家に於ける法の大原則――少なくともそうあるべきだと個人的には考えている。たとえ国家元首であろうと、もし罪を犯した場合には、法に則って断罪されるべきである。だがこの映画の時代には、王を処罰するなどというのは当然乍らタブーであった。古代国家ならいざ知らず、封建社会が成立して以降のヨーロッパでは、国家元首は文字通りの聖域だったわけである。それを覆した事は、他国の政治にも、後世の社会にも多大な影響を与えることとなった。
チャールズ1世の処刑に関する是非は扨措くとしても、成る程これは確かに興味深い、歴史上大いに注目に値する革命である。原題も『To Kill a King』。王を葬り去るという前代未聞の計画に対する、革命家たちの熱意がひしひしと伝わってくるようなタイトルだ。それと同時に、王を殺すのか、殺さないのか、果たして殺していいのか、いけないのか、抑々この革命は単なる”王殺し”でしかないのか、そうではないのか。そうした疑問や葛藤もまたテーマに据えられている事を伝え、観客に訴えかけるタイトルにもなっている。

さて、この清教徒革命の立役者となったのが、オリバー・クロムウェルとトーマス・フェアファクス。
邦題は 『クロムウェル~英国王への挑戦~』となっていて、恰もクロムウェルが主人公のように聞こえるが、実際にはフェアファクスの視点で描かれており彼の方が主人公に近い。フェアファクスが語る、盟友クロムウェルの物語だ。
クロムウェルが政治家であるのに対し、フェアファクスの方は軍人である。歴戦の猛者で、忠義の人でもあり、人々から慕われている将軍だ。クロムウェルとは同じ議会派に属する長年の友人でありながら、根本的に立場が異なる人物と言える。彼らは政治に革命を起こそうというところまでは志を一にしていたが、クロムウェルは共和制を望み、フェアファクスはチャールズ1世の下での立憲君主制を望んでいた。このあたりから二人の間で不協和音が聴こえ始め、それはやがてクロムウェルが王を処刑して共和制を布き、自ら護国官として独裁政治を行いだした時に決定的なものとなる。
印象的だったのは、クロムウェルがそれまで長かった髪をバッサリ切って短髪にしてきたのを、フェアファクスが見て唖然とするシーン。当時議会派の一部の間では髪の毛を短く刈り上げるのが流行していたそうだが、これは宮廷風の優雅で派手な長髪に対する「NO」のメッセージだったそうである。この瞬間フェアファクスとクロムウェルには、王政支持者と不支持者としてはっきりと溝が出来てしまったのであった。
独裁者を倒した筈の人間が皮肉にも独裁者と化す。洋の東西を問わず、歴史の中で繰り返されてきた出来事だ。旧いリーダーを殺して悠然と新しいリーダーの座に就くクロムウェルを見ていると、彼が倒したかったのは君主制でも専制政治でもなかったように思える。然しをれを、彼を昔からよく知る盟友の視点によって語らせることで、一層その憐れみが感じられる作りになっていた。

考えてみれば、君主制から共和制への転換、これは相当難しい。君主を排除したところで、結局は国をまとめる人物が必要となるからだ。では、誰がそれをやるのか? 当然、君主を排除した側の誰かである。だがそうなると、絶対君主を批判する立場の人の中から、特定の誰かが最高権力者に君臨して良いものなのかという、根本的な矛盾やジレンマが生まれてしまう。
思うに、たぶんクロムウェルは最高権力者になるべきではなかったのだ。事実上最高権力者は必要だとしても、彼はそれになるべきではなかった。何故なら、クロムウェルは確かに切れ者だが、器用なタイプでは決してなく、敵を作りやすい質の人間だからである。元首には誰か別の人物、そう例えばフェアファクスのような根っから人望のある人を置いて、彼自身は参謀役に徹した方が上手くいったのではないだろうか。
結局、クロムウェルの共和制は長くは続かなかった。然し乍ら、彼は国内で産業を発達させ、外交に於いても国威を高めるといった功績も残しており、今現在でも評価の分かれる政治家だそうである。
純粋な歴史モノとして非常に見応えのある映画だった。信頼できる役者さんが揃っているのも魅力。特にティム・ロスは、小柄ながらその好戦的な目つきで一方ならぬ存在感を醸し出していた。



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by canned_cat | 2015-01-05 21:21 | UK/ドイツ映画 | Comments(0)